平成30年8月10日 当寺で施食会を執り行いました。
施食会(せじきえ)とは別名、お施餓鬼(おせがき)とも言います。
仏教には「地獄(じごく)」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」「修羅(しゅら)」「人間(にんげん)」「天上(てんじょう)」これらからなる六道と言われる世界があります。人は生まれ変わってから行く場所が、六つあるとされているのです。この中の一つである地獄の次に恐ろしい「餓鬼道(がきどう)」に堕ちて苦しんでいる無縁仏様を供養する法要が施食会です。
起源は、お釈迦様の十人の優れた弟子の一人であり、お釈迦様の従兄弟である阿難(アーナンダ)尊者の話が元になったと言われています。
ある夜、阿難尊者が座禅をしていると、それはそれは恐ろしい形相の餓鬼が現れ、こう言いました。
「お前の命はあと三日でなくなる。死後はお前も私と同じ餓鬼道に墜ちて悶え苦しむだろう。そうなりたくなければ、三日以内にすべての餓鬼の飢えを癒しなさい。」
餓鬼の数は無限にいます。困り果てた阿難尊者はお釈迦様に相談されました。
するとお釈迦様は陀羅尼というお経を阿難尊者に授け、「この陀羅尼を唱えながら、ひとつまみの食べ物を施すと、それが無量の食べ物となり、無数の餓鬼を施すことになります。そうすれば、その功徳によってあなたも救われますよ。」と教えられました。そして、そのお教えのとおりに供養すると、数多の食べ物で多くの餓鬼を救うことができ、阿難尊者の寿命も延びたといわれています。
これが施食会の由来です。
では、なぜ阿難尊者は餓鬼道に堕ちるなどと不吉なことを言われたのでしょうか
それは、自己の解脱をめざして一途に修行していたあまり、自分の悟りばかりに気を取られて、他を救おうという利他の行為を忘れていたからです。餓鬼は私たち自身の心の中に住んでいます。他人のことを顧みずに、自分だけ良ければいいという「自分の利益」に終始してしまう心こそが、餓鬼という存在なのです。
欲望に満ち溢れた「あれも欲しい、これも欲しい、ああなって欲しい」という貪りの心は、様々な苦の元凶にもなっています。施食会は、その餓鬼道から私たち自身を救う修行でもあるのです。
このように施食会とは、本来は自分と縁深いご先祖様など、特定の霊を供養するものでなく、供養に恵まれない全くの赤の他人である、有縁無縁のすべての三界萬霊を対象にしたものです。
その心は「利他行」(自分を後にして他のために利益を施すこと)につながり、大きな功徳を積むことになります。そしてその功徳は施主や先祖にまで及び、先祖への功徳にもなります。そういった意味から、施食会は一人でも多くの方々とご一緒に供養してこそ意義があると思います。
施食会は本来毎年すべきものですが、寺からの案内は三回忌までです。出来たら三回忌が終わっても、毎年施食会にお詣りして、先祖供養を行ってください。普段年回の供養が出来ない方はなおさらです。一年に一度はお塔婆を建てましょう。
また、お盆のお塔婆と一緒に施餓鬼旗という旗をお配りしています。五色ありますから五色旗とも言い五枚一組になっております。それぞれ『多宝如来、妙色身如来、甘露王如来、広博身如来、離怖如来』様です。これは餓鬼道に墜ちて苦しんでいる人々を仏の道に目覚めさせ、飢えと苦しみから逃れさせ、安楽の境地へと導いてくれる如来様方です。お塔婆と一緒にお墓に飾ってください。